
「なぜ生きているのか」「何のために生きているのか」「毎日繰り返される体験の意味は何か」「自分はなぜ病気なのか」「自分はなぜ死ななければならないのか」「死んだあとはどうなるのか」「人間に生まれ、人間として生きているということはどういうことなのか」などの問いは、人間誰しも抱えている。
スピリチュアルケアというのは、こういった問いに真正面から対面し、探究し、健全な解決へと向けて、絶え間なく働きかけることである。
人は、誰でも、元気なときでも、何かしら「スピリチュアルケア」を必要としているという。
ましてや、病気になったとき、どうにもならない困難と対峙したとき、死に直面しているときなどは、なおさら、適切なスピリチュアル・ケアを提供を受けることが、大きな救いとなる。
ところが、現代西洋医学は、「APPARATE MEDIZIN(機械医療)」、つまりハイテクノロジー重視の医療へと変化してしまったため、もはや西洋の古来の伝統的医学とも異なり、また現在も用いられる各文化圏の伝統医療とも異なったものとなってしまってい、現代西洋医学の従事者の多くは、病んでいる人のスピリチュアル・ニーズや、その切実な叫びを理解できなくなってしまっているという。
おまけに、現代社会全体が、若さ・バイタリティー・美などばかりを高く評価しそれに言及することが多い一方で、苦しむこと・病気の状態を生きること・死ぬこと・宗教的なこと、といったことがらについては、普段、タブー視する傾向がある。
しばしば病は突然やってくるものであり、そのような場合、人はスピリチュアルな痛みを感じつつ、「自分は何のために生きているのか」「死んだあとはどうなるのか」といったスピリチュアルな問いを行う。臨床スピリチュアル・ケアはこういった場で生まれている切実なニーズに応えている。
スピリチュアルケアは、身体的ケア・精神的ケア・心理的ケアにまさっているともされ、また、人間の究極的なケアともされる。